前代表社員長崎真人自分史
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 【第一部】第一話「南の楽土・自由の天地 台湾への第一歩」(
 
第1話
 
 私の父・長崎武(当時22歳)が、妻・ノフ(21歳)と二人の幼子、長男・明(1歳7ヶ月)長女・悠子(生後4ヶ月)を伴って、新天地台湾を目指して、移民船「笠戸丸」に乗船、神戸を出航したのは、1925年(大正14年)の5月の事でした。

 台湾は、古く「高砂の島」「蓬莱島」と呼ばれ、神仙の住む南海の理想郷として、古代人の憧れの地でありました。