前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第一話 湘南商工会事務局員として「民商攻撃」に直面()
 
第一話
 湘南商工会の前身は、昭和30年藤沢市辻堂で結成された「湘南経営経理研究所」。
 32年に「湘南商工会」と改称、国民金融公庫の集団借入等、実利に基づく地道な活動で地域の業者の信頼を得て会員拡大に成功し、私が事務局員として採用された当時には、会員1000名を目指し、全国でも珍しい大組織に発展しつつあった。
 私が配置された辻堂のほか、藤沢、長後、戸塚、鎌倉、茅ヶ崎、大和に支部があり、藤沢市橘通りには本部と計算センターがあって、事務局員が全体で30数名いた。税理士の資格をもった先輩がいて、指導的な役割を果たしていたのも珍しいことだった。
 
 私は入局1年足らずで辻堂支部の事務局長に任ぜられ、100名前後の会員の諸々のお世話をする責任を持たされた。
 辻堂は、湘南商工会発祥の地で、建材業者、材木商、葬儀屋、米屋等々地元の有力者が会員になっていて、会員と事務局幹部との信頼関係は厚く、会はしっかり地元に根を張っていた。
 その半面、創設の経緯から「経理民商」と他から批判されたように、主として事務局員のひたすらな献身による、手厚いサービスによって支えられてきたと言うのが実態で、会員の増加に伴い、事務局員は会員の記帳業務に追い回されて、毎晩深夜まで残業し休日返上で頑張っても中々間に合わない状況だった。
 この現状を乗り越えて今ひとつ飛躍を図るにはどうすべきか?その方策が探求されていた。私が事務局長に任ぜられたのは、そう言う時期だった。