前代表社員長崎真人自分史
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 【第一部】第三話「母子とも危ふく命拾い 真人の誕生秘話」(
 
真人の名の由来
 幼時、私は「しんちゃん」と呼ばれていたらしい。母は良く「マヒチャン」と呼んでいました。初対面で正しく「まひと」と読んで下さる方は殆どいない。「まこと」あるいは「まさと」と読む方が大多数だ。
 実は、この「真人」と言う名は、日本で一番古い、由緒ある名なのである。飛鳥浄御原令=大和に初めて統一王朝を築いた天皇家の先祖が、中国や朝鮮にならって、天武12年初めて制定したわが国最古の法律だが、その中で、氏姓の乱れを正すためと言う事で、「八色の姓(やぐさのかばね)」を定めた。その筆頭に位置するのが、この「真人」なのである。「マヒト」と呼ぶ。これは天皇家の一族にのみ許された姓。次が朝臣(アソミ)=皇族が臣下に下る時に賜る。

 
その次が宿禰(スクネ)=天皇家の姻戚に当たるものに賜る。と言うわけで、誠に恐れ多い名前なのである。
  今ひとつ紹介しよう。これは、在日朝鮮人文学者の金達寿著「日本の中の古代朝鮮」を読んで知った事なのだが、江戸時代の学者・藤井貞幹の説によれば、「真人=辰韓所謂麻立干(マトウ)也。麻立干は新羅の王号なるをもって、本邦皇別の姓とす」と言う。八色の姓で、真人(マトウ)が第一に掲げられたのには、新羅王家と日本の天皇家との並々ならぬ関係があっての事、と言うのである。
 ついでに言えば、中国最古の宗教で今なお民間に根強い力を持っている道教では、修練を積み、最高の知恵を会得した者を「真人(シンジン)」と言う。
父は、こんな事を知っていて私の名を付けたのだろうか?出来すぎだと思う。