前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第八話 最初で最後の兄弟喧嘩/家父長制が支配した時代(
 
 天皇制は、本来、これと異なり、支配と被支配、征服者と被征服者の階級関係として成立したものでありました。ところが、日本的支配関係の特色と言うべきでしょうか、儒教の「忠孝」の思想も取り入れながら、格別に「家」制度の持つ家族的秩序と観念を巧みに利用し、天皇と人民との関係を親子関係に擬制し「臣民を天皇の赤子として慈しみ賜う」等と言って、国民の生命財産に対する過酷な絶対的な支配を覆い隠してきました。

 一方、この天皇制を基盤で支える役目を持たされた「家」制度も、時として肉親の情を捨て、「家」における天皇の代行者として、家父長の絶対的権力の行使を、特に軍国主義の時代には、推進する傾向を強めたのでした。
 
 相続は、この戸主の支配権を継ぐ意味で「家督相続」と呼ばれ、その相続権は長男に専属していましたから、長男は戸主の後継者として、その他の家族員とは隔絶した特別な存在であったのです。
長崎家は、武士と言っても最下級であり、祖父も父も当時としては開明的な思想の持ち主でしたから、それほど強烈な観念が支配していたとは思われないのですけれども、軍国主義体制が次第に強化される風潮の中で、前述のような事件も起きたのでしょう。