前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十五話 敗戦そして亡国の民に吹きすさぶ戦後の嵐(
 
 後に残った学徒兵たちは呆然とするばかり。そのうち誰かが「どうも負けたらしい」と言う。玉音放送は全く判らなかったが、後のアナウンサーの話がどうもそんな調子だったと言う。私はそんな馬鹿な話があるものかと言う。
 その日はそれで終わったが、翌日になっても何の命令もない。

 それから数日間、隊長たちは姿を見せず、兵舎に取り残された学徒兵の間で、段々に議論が沸いてきた。日本が、無条件降伏したと言う事は最早疑いの余地はなかった。問題は、これから一体、我々はどうなるのか、どうすべきか皆目見当がつかない。
「陛下が降伏しろと言うのだから我々も従うべきだ」と誰かが言う。
学徒兵
 
 私は、怒って言う。「これは君側の奸のなさしめる業だ。否、もし真に陛下の命令だとしても、『君は君たらずと言えども、臣は以って臣たらずんば非ず』と言うではないか。仮令、今、勅命に反するとも一命を捨てて最後まで戦い抜く事こそ、真の忠臣たるものの道ではないか」と。
 今にして思えば、苦笑さえできぬ、情けない馬鹿馬鹿しい限りの議論であったけれども、当時の私としては、精一杯の正義感の発露であった。無理もない。満州事変が始まったのが3歳の時、10歳で支那事変、それから太平洋戦争と軍国主義以外には何も知らずに育った時代だった。

 1週間ほどして隊長が帰ってきた。「吾が台湾軍は徹底抗戦する事に決した」と言う。はじめて実弾が配られ、猛烈な演習がその日から始まった。
 重機関銃を二人搬送で、自分たちが掘ったトンネルの中を走り回り、あっちの銃眼からこっちの銃眼へと銃口を出したり引っ込めたりする訓練だった。
熱病のような興奮状態であった。