前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第一話 万感の想い込め、さらばイラ・フォルモサ(まえがき)
 
ひとり甲板で、幼時の村松を思う
 私が内台航路の船に乗るのは、実はこれが初めてではなかった。小学校3年を終えた春休み、私が知らぬ間にお膳立てが出来ていて、徴兵検査で新潟に帰ると言う、呉服屋の番頭さんに連れられて、祖父母が居る村松に遣られる事になった。突然親の手を離れ9歳の一人旅。村松は旧城下町とは言え、当時人口60万の大都会だった台北から見れば片田舎、気候も風土も言葉さえ違う異郷である。村松での1年余の体験は、その後の私の人生に少なからぬ影響を与えた。
(このときのエピソードの数々は、第一部第七話を御覧下さい)
 独り大海原を見詰めながら、私は、幼時村松での事をあれこれ思い出していた。
 
鹿児島は灰一色の焼け野が原
 高雄港を出て1週間目の朝、船は鹿児島湾に辿り着いた。人々は声を上げて歓喜した。先ほどまでの船酔いが嘘のようだった。皆、甲板に出て、眼前に近づく祖国の姿に、すべてを忘れて感動していた。

 日本の風物は確かに美しい。松の緑、海の青、静かな湾内に浮かぶ白帆、鹿児島湾は正に絵のようであった。しかし、私が生まれ育った南の国の、海も空も木々の緑も、すべてが濃い色彩に燃え、生命感に溢れた自然に比して、眼前に見る内地の風光は、淡く慎ましく箱庭のようにこじんまりとまとまっていた。
白帆