前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第五話 朝鮮戦争勃発を前に、コミンフォルムの重大干渉に直面()
 
 6月2日、警視庁はGHQの勧告に従い都全域での集会・デモを全面禁止。
 6月6日、マッカーサーの指令で党中央委員24名(国会議員7名を含む)全員を公職追放、一切の政治活動を禁止。
 6月25日、北鮮軍と米韓両軍が北緯38度線で戦端を開き、朝鮮戦争勃発。
 翌26日には、「アカハタ」はじめ、「民主青年新聞」その他の民主団体の機関紙が発行禁止となった。
 7月28日、新聞・通信・放送界を皮切りに、その後数ヶ月にわたり、政府機関、民間企業を網羅して、1万数千名に達する共産党員と同調者と目された労働者を、職場から根こそぎ追放するレッドパージの嵐が吹き荒れた。

 
 新しい任地となる東京東部地区は、江東・墨田・江戸川・葛飾の工場地帯を擁し、かって渡辺政之輔(元日本共産党委員長)や川合義虎(初代日本共産青年同盟委員長)が活動した舞台である。
 私に課せられた使命の軽からぬものを感ぜざるを得なかった。