前代表社員長崎真人自分史
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 【第一部】第二話「夜なべで33人分の体操着を縫上げる 友蚋分教場の運動会」(
 
第二話

 父の台湾での最初の赴任地は、基隆から程近い四脚亭の公学校でした。
 四脚亭は、台湾北部の炭鉱地帯の一集落。公学校と言うのは、現地人の子弟を対象にした義務教育の機関で、内地人向けの小学校と同じく6年制でした。日本語を全く知らない現地の子供たちに、台湾語の心得が全くない教師が、「ハナ、ハト、マメ」から教えようと言うのですから、並大抵の苦労ではなかっただろうと思います。
   その2年後には、同じ炭鉱地帯の五堵公学校の友蚋分教場の主任を命ぜられました。五堵は一帯の中心的な石炭の集積地で、基隆から台北に至る縦貫鉄道の駅がありました。友蚋炭鉱は、五堵から台車で30分ほど山地へ入った炭鉱部落で、父は、五堵駅近くの宿舎から台車で通いました。
 台車と言うのは、今はもうなくなったようですが、当時の台湾の地方交通には欠かせなかった、人力の軽便鉄道(トロッコ)で、石炭も人間も何でも運びました。五堵駅周辺は、友蚋炭鉱から台車で運ばれてくる石炭の山で真っ黒でした。
 分教場は、全校33人。これを父ともう一人台湾人の教員と2名で担当しました。父は、「友蚋の校長先生」と部落の人達に呼ばれ、その責任を果たすのに夢中でした。