前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
 【第一部】第二話「夜なべで33人分の体操着を縫上げる 友蚋分教場の運動会」(
   最初の秋、運動会の時期が近づいたある日、父は母に「運動会じゃナ、部落中が集まる事になるし、庄長(村長)や視学(教育行政の監督官)も来る事だし、精一杯日頃の成果を見せたいと思うのだが、何しろあの汚い服装ではナァ」と嘆息交じりに言いました。すると母は、「いいわ、私が縫ってあげる」と即応。早速、台北までキャラコの生地を買いに行って来ると、徹夜でミシンを踏み、33人分の体操用のシャツとパンツを仕上げたのでした。

 運動会の当日、純白の体操着の子供たちの、見違えるような生き生きとした演技に、部落中が熱狂的な拍手を惜しまなかったと言います。
 
 母は、台湾にきて以来、水が合わなかったのか下痢が止まらず体調を崩していながら、慣れない土地で、二人の幼子の養育にあたり、腹にはこの年12月に出産予定の次男・真人(私)を抱えていました。
第二話
 若い母が時折小声で歌っていた歌です。
 哀愁とロマンを込めたそのメロディは、私の耳に今も残っていますが、これ以上は歌詞も題名も分かりません。