前代表社員長崎真人自分史
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 【第一部】第二話「夜なべで33人分の体操着を縫上げる 友蚋分教場の運動会」(
   母は、父と同じ城下町の、老舗の銭湯兼お菓子屋の末娘でした。祖母に眼に入れても痛くないほど愛されて、のびのびと自由に育てられました。高等小学校を卒業すると、新潟医学専門学校(現国立新潟大学医学部)付属病院に就職し、働きながら甲種看護婦の資格をとりました。
 そこで、肋膜炎を患って入院してきた父と出会い、たちまち恋に落ちたのでした。当時としては珍しかったのですが、新津のキリスト教会に二人で通い、これも当時としては珍しく、商家の末娘と士族の長男が、自由恋愛を周囲に認められて、結ばれる事になったのでした。
   実は、晩年の父が密かに私に洩らしたところによれば、「厳粛な事実」の前に誰も反対できなかったと言うのが真相だったようです。

 相思相愛の仲とは言え、故郷を捨て親を捨て、幾千里の波涛を越えて、南海の孤島に渡って来たのは良いものの、周りは言葉の通じない台湾人ばかりで、衛生状況もまだ赤痢やマラリアが風土病のようだった時代、どんなに寂しかったか想像に余るのですけれども、けなげに生き抜いた青春でした。