前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第五話「台湾芝居と爆竹と豚の丸蒸し/台湾の豊かさの根源」(
 
 しかし、清末のこの一時期以外、この島に中国の中央政府の本格的な支配が及んだ事はありませんでしたので、元来“化外の地”であったこの島を開発したのは、誰の保護も受けず、否むしろ、清国の海禁政策を犯してこの島に渡り、裸一貫幾多の苦難を乗り越えて開墾に励んだ、対岸の福建あるいは広東からの移民たちでした。上述の近代化政策も、清国政府の方針では、すべて現地調達主義でしたので、台湾移民たちが、それまでに築き上げた経済的な基盤なしには実現できなかった事は明らかです。

 台湾民衆が、日本の占領に対して徹底抗戦の擧に出たのも、ここまで成し遂げた血と汗の辛苦、独立独歩の気概があったればこそだと思います。

 
 台湾は「民度」の低い土地、未開の土地であったと言う曲解からは、台湾の民衆が死を恐れず抵抗した気持ちは理解できないでしょう。

 第三に、台湾平定に日本の軍事力の大半を注ぎ込み「台湾戦争」と軍司令部が称したほどの武力を行使し、ほぼ平定と言い得るまでに結局20余年を要したと言う事。これが、ポツダム宣言受諾で終わる全占領期間50年の4割の年数になると言う事は、日本の台湾統治の本質を示すものとして、明らかにしなければならない事だと私は思います。