前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十六話 廃校・旧制台北高校の苦悩(
 
 私の手元にある台北高校の卒業生名簿で見てみよう。
私が在籍した理科乙類は主として医学を目指すコースで、特別に台湾人学生が多かったけれども、総員42人のクラスで台湾人は16人、約38%にあたる。
このほかのクラス、理科甲類が10%、文科では僅か1名のみ。終戦時の人口、日本人32万人台湾人600万人、95%以上が台湾人であった比率から見れば、台湾人が高等教育を目指す事が如何に至難な事であったか明らかだ。
 選び抜かれた秀才にしても、官公吏等への進路は望むべくもなく、狭き門の向こうに見えるのは、医学コースが精々であったから、私がいた理科乙類には、台湾人同窓が多くいた。
 
その私の同窓16名の台湾人は、いずれもズバ抜けた秀才揃いで、同窓会名簿によれば、卒業後の進路は、開業医8名、大学教授・研究所員7名(うち2名は米国で大学教授)となっている。

 問題は、李登輝氏はじめ多くの台湾人エリートが、良きにつけ悪しきにつけ、青春期に受けた日本の教育をその教養の基盤にし、日本人以上に日本的思考を身につけていると言う事。
 台湾の今後の帰趨、本土との統一をどう進めるかは、極めて解決困難な政治問題であるが、その基底に台湾人指導層の日本に対するノスタルジアがあるとすれば、熟考を要するもものと私は思う。