前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十六話 廃校・旧制台北高校の苦悩(
 
 またその深部には、後で述べる2.28民変(台湾民衆の胸に刻まれた国民党の血の弾圧史)の傷の深さがある。更にアメリカと中国の台湾海峡を挟む軍事的な緊張と経済的な利害の思惑があり、これらの解決にはなお相当な年月を要すると考えれば、真の意味で台湾人が自らのアイデンティテイを内外に鮮明にすると言う事は容易ならぬ歴史的な事業であろうと思われる。

 この事は、日本人にとって決して対岸の出来事ではない、深刻なかかわりがある問題であると私は思う。この点について、このささやかな自分史では、これ以上深くは論じ得ない歯がゆさが残るが、ともあれ、私はかって青春を共にし共に学んだ者、植民地教育の功罪の一端を知る者として、台湾の人々が本来持つ類まれな知力と豊かな感性をもって、その実力にふさわしい国際的な地位を獲得されるよう、その日の早かれと祈るのみ。
 
日台同窓が肩を組み 惜別のストーム

 まず軍隊、次に官公吏とその家族、最後に民間人の順だったが、年が明けると日本人の引揚は急速に進み、級友たちも歯が抜けるように帰って行った。
2月下旬、引揚船も後数回と言うので、理科乙類の同窓20数名が集まって母校の本館前で最後のストームをやった。
 「ストーム」と言うのは、今は知る人も少なくなったと思うので、一応解説せねばと思いますが、旧制高校生特有の、若さの発露、感激の表現とでも言うべきか、折に触れてやられた風習、スクラムを組み校歌や寮歌を高唱しながら、ツーステップで交互に足を高く上げる、日劇ダンシングチームのあれを大いにバンカラにしたものと言えば分かりが良いか。