前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第五話 ゼネスト中止の放送に男泣き()
 
「この闘争は愛国闘争であります」
 間もなく、私は試験場の若い助手や農夫たちに呼びかけて「青年同士会」なるサークルを作り、読書運動を始める一方、2.1ストへの動きが盛り上がる中では、自ら青年行動隊長となって、いつの間にか先頭に立って走り回るようになっていました。隊長といっても他に隊員は誰もいない。何をして良いのやら判らない。使命感だけが溢れていました。

 闘争委員長は、農専卒のポツダム中尉(終戦と同時に昇格)で、将校服に戦闘帽・黒皮の長靴のいでたちで「この闘争は愛国闘争であります」等とぶっていました。この闘争委員長が頻繁に東京の全農林の本部に連絡に行く、それを自転車の後に乗せて鴻巣駅まで20分ほどの坂道を送り迎えしました。この委員長を身体を張ってでも守り抜くのが私の任務だと独り決めしていました。
 
マッカーサーのスト中止指令
 2.1ストは、その前日、最後の大詰に出されたマッカーサーの指令によって脆くも挫折しました。後で知ったところでは、共闘会議議長の伊井弥四郎氏は占領軍に身柄を拘束されて放送局に連行され、拳銃を突きつけられて、スト中止の指令を出すよう強要されたと言います。
 その放送を聴いて私も泣きました。しかし、このときの涙は、かっての絶望の涙ではなかった。さわやかな男泣きでした。

 日本の労働者階級は、この占領政策むき出しの弾圧に大きな教訓を得ました。与えられた幻想の民主主義ではなく、真の民主主義・人民の解放は、自らの手で闘い取らねばならないと。