前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第五話 ゼネスト中止の放送に男泣き()
 
 これは、電通文芸同好会(NTTで働く人たちの会)のホームページで私が読んだ棟田洋子さんの亡くなった夫を偲んだ文章です。その方は私よりも一つ年上で、二十歳のとき「唯物弁証法読本」を読んで、以来、心筋梗塞で倒れる瞬間まで、どんなに体調の悪い時も活動を止めなかったという事です。妻である人の胸に美しい想い出を一杯残して・・・・。

 私と同じ時代に、同じ本を読み、同じ道で戦い抜いた人の存在を知って、私の感動は表現のしようもありません。
 恐らく戦前戦後を通じてこの本がどれほど多くの若者の胸を打ち人生を決定付けたのか、その影響は計り知れないものがあると思います。
 
「太陽のない街」と徳永直
 徳永直は、1899年(明治32年)熊本市生まれ。1926年(大正15年)有名な共同印刷の争議で指導的な役割を果たし、その体験に基づく長編小説「太陽のない街」を1929年(昭和4年)「戦旗」に発表。労働者出身のプロレタリア作家として注目を集め、全日本無産者芸術連盟(ナップ)に参加。
 戦後、新日本文学会の結成に参加。「静かなる山々」「妻よねむれ」等の名作を次々に発表。
 「はたらく一家」は1939年成瀬巳喜男監督、「女の一生」は1949年「母なれば女なれば」は1952年亀井文男監督、「太陽のない街」は1954年山本薩夫監督、により映画化された。
 1958年(昭和33年)没。58歳。多磨霊園。