前代表社員長崎真人自分史
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第三部】序文
 

 この第三部では、満20歳で鴻巣試験地を去り、日本共産党中央科学技術部員を皮切りに、主として青年運動の分野で、いくつもの部署を転々としながら、職業革命家として生き抜いた、ほぼ10年間の青春期の、エピソードの数々を語ります。

 この時期は、正に激動の10年と言って良いでしょう。戦後初期の占領政策は、その短い民主化の時期を終え、急速に転換して、徹底した反共攻勢・反動支配の時期に入りました。
 官公署と民間企業とを問わず、全国の職場から共産党員を追放する、レッドパージの嵐が吹きすさびました。三鷹事件・松川事件等々の幾つもの謀略事件も暗雲となって覆い被さって来ました。
 
 そして朝鮮戦争の時期、占領軍の指令で、言論・出版・集会の全面的な禁止が強行され、正にむき出しの軍事支配と言うべき反動攻勢に晒されました。
 加えて、党にとっては誠に不幸な50年問題と言う深刻な事態も体験せざるを得ませんでした。
 こうした中で、現在に至るアメリカ帝国主義の基本的な支配体制として、日米安保体制が築かれました。

 しかし反面、この時期は、日本の民主勢力が、この困難な事態に良く耐えて陣地を守り抜き、血の滲むような貴重な教訓を得た時期でもありました。

 第三部は「激流に棹さして」と題して、激動の時代に体一つで激流に抗し、時に翻弄されながらも、ひたすら理想に燃えて生き抜いた青春の日々を、記憶の糸を辿って書き綴ります。