前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十ニ話 ビキニの水爆実験に抗議()
 
県民青がいち早く決起
 県民青の反応は早かった。川崎の居住班が川崎駅頭に立って「原水爆禁止署名」を呼びかけたのをはじめ、ほとんどの班が一斉に署名運動に取組み始めた。
 これに対する市民の反応は極めて良く、取組んだ団員たちは、先進的な青年組織の一員としての使命感を高め、民青団の役割を世間に広める事となった。
 
 間もなく、原水爆禁止運動は、全国民的な運動に発展して行った。翌年8月には第一回原水爆禁止世界大会が開催され、全国をひとつに結ぶ平和リレーも初めて組織された。9月には原水爆禁止日本協議会(日本原水協)も結成。これが今日まで続く世界的な原水爆禁止運動の出発点になった。

すべての青年組織に呼びかけて県下青年の大結集を図る
 私は、判る限りの県下の諸々の青年組織に、日本民主青年団神奈川県委員会の名で申入書を送り、最大限直接足を運び共同行動を申入れて歩いた。
皮切りは、神奈川地評青年部、続いて横浜・鶴見・川崎の地区労に乗り込んだ。初めはまさしく「乗込む」心境だった。