前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十ニ話 ビキニの水爆実験に抗議()
 
 訪ねた先のひとつひとつに印象深いものがあるが、大根村女子青年団の団長さんのお宅の広縁に腰掛けてゆでたてのお芋を頂いた事、開成町吉田島の豪農のお屋敷に一泊させて頂いて、酒匂川の若鮎の塩焼きを生れて始めて御馳走になったのは、特に忘れ難い。
 小田原の大蔵省印刷工場では、お札を印刷する過程や、退社時に職員全員が素裸になって下着まで検査される浴場の在り様も見せて頂いた。
 秦野の専売局では、葉タバコの乾燥から選別、刻み・巻きタバコの製造過程を逐一案内して頂いた。いずれも初めて知った事だった。
 
 この時の原水爆禁止運動は、県下では初めての大きな広がりを持った青年戦線の大統一行動となった。民青団は、その先頭に立って先進的な役割を果たした。
 その総力を結集したのが、翌1956年の春開催した「神奈川県青年学生平和友好祭」だった。前記の神奈川地評をはじめとした主要な労組青年部が賛同し共催した。

 会場の横浜市体育館の中央に丸いステージを作り、それを取り囲む形で、記憶では7−800名の参加者ではなかったかと思うのだが、全県下から集まった青年学生の息吹が会場に満ち、私は、主催者を代表して挨拶に立ったのだが、熱気に上がってしまって、呂律が良く廻らなかった。