前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第六話「学芸会の主役に初恋?そして失恋!初めて知る階級の差/血に彩られた日本語教育の始まり」(
 
第6話 初めて知る階級の差

 昭和9年3月、父は双渓公学校での業績が認められたのか、台北市内の永楽公学校に栄転になりました。一家は初めて、田舎暮らしから抜け出して、台湾一の大都会・台北市に住む事になり、新学期を前に慌しく引越しました。
 私は、満6歳・小学校1年生です。私が入る事になったのは、旭尋常小学校と言って、台湾総督府をはじめとした官庁街に近い、台北でも一番の中心地にある、3階建鉄筋コンクリートの立派な学校でした。
 児童数も、1学級60人で1学年が男子・女子それぞれ3学級ですから1学年360人、全校で2300人を超えるマンモス校でした。(私の卒業写真帖によれば昭和14年4月現在2363名)
 
 いや、その賑やかな事、その喧騒ぶりたるや、静かな田舎でのんびり育った私には唯ただ驚くばかりの毎日でした。

 少し慣れて来たかと思う2年生の2学期、学芸会のシーズンです。どうした事か私は選ばれて劇に出る事になりました。「ねずみのチュー太」と言う劇で、お人形さんの役でした。劇のあらすじはこうです。
 「ねずみのチュー太」はいたずらで、お母さんねずみがいくら言ってもじっとしていません。ある日、とうとうあっという間にネズミ捕りに捕まりました。お母さんねずみも友達もみんな大騒ぎ、でも檻の周りを走り回るばかりでどうする事もできません。その時、箱の中から声がして女のお人形と男のお人形がこもごもに、台所の棚の上にある道具箱に鑢があるから、それを使ってみんなで鉄格子を切るんだと言います。「そうだそれだ」と、ねずみたちは鑢を見付けて来ると、一所懸命声を合わせ力を合わせてチュー太を助け出す、と言うお話です。