前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第六話「学芸会の主役に初恋?そして失恋!初めて知る階級の差/血に彩られた日本語教育の始まり」(
 
 芝山巌「国語学校」の日本人教師6名は、好意的な父兄の事前の避難勧告に耳を貸さず、忽ち蜂起の犠牲となり命を落としました。
 また「国語学校」の開設に尽力した地元の有力者が、日本側に捕らえられ、暴徒に通じていたとの疑いで拷問され惨殺されると言う事件まで生じました。日本側の対応は、徹底的な弾圧、それも善悪の区別なく掃滅する、文字通りの報復以外の何ものでもありませんでした。

 犠牲になった日本人教師6名は、以後、「教師の鑑」として神にまつられ、生命を捨てて教育に挺身する「芝山巌精神」は、台湾教育の神髄とされました。
 
 台湾における国語教育の原点が、この事件に象徴されるところに在ったと言う事は、その後の「皇民化教育」の本質を見る上で、深く検討されるべき事だと思います。

 台湾では、教師は常に「官服」(詰襟、夏は白、冬は黒)に威儀を正していました。年に何回かの祝日の儀式の折には、金ぴかの大きな肩章を付けサーベルを腰に下げました。

 私が学んだ台北市旭尋常小学校は、1897年(明治30年)台北市内に移った「国語学校」の付属学校として、日本人子弟のために開設された、台湾で最も古い伝統のある小学校だと教えられました。旭小学校の生徒であると言う事は、誇り高く名誉な事だと、折に触れ叩き込まれました。