前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十七話 追われる如く去る故郷台湾(
 
第17話 追われる如く去る台湾想いは残る 故郷台湾

 父は、アルミ会社高雄工場で「留用」と言う話もあったようだったが、先の見通しに不安もあり、内地に残してきた年老いた祖父母の下への矢の如き帰心もあり、結局、最終の引揚船に乗る事に決めた。
その乗船の日も決まり、高雄の我が家は引揚準備に追われる毎日であった。
 母は、一人がひとつずつ担ぐリュックサックや布団袋を縫ったり、それに詰めるものを揃えるのに懸命だった。家財道具は、何もかも置いて行かねばならなかった。戦時中、疎開地を転々として大方は失われ、金目のものは残っていなかったけれども、それでもほぼ20年の蓄積を清算するのは大変な作業だった。
 
伝助賭博に大金を巻揚げられる
 忙しい母の言いつけで、私は市内の銀行に預金を下ろしに行った帰路、街角で台湾人のインチキ賭博に引っ掛かった。
 “伝助賭博”と言うのだろうか、タバコの空き箱三つを台に載せ、その一つか二つをヒヨイヒヨイと右へやったり左へやったり位置を変えて、三つのうち一つだけ裏返すと穴が開いたのがあり、それを見物人に当てさせるのだ。
 惹きこまれて見ていると私にもやれと言う。簡単なことだと思い賭けると、それが違っていた。いや、これはまずい事になった。何とか取り返さねばと、また賭けるとまた取られる。そんなことを4.5回繰り返して、とうとう銀行から下ろしてきた虎の子の預金を、全部巻揚げられてしまった。
 環境の激変について行けず、若い私の神経はどうにかなっていたのだろう。
 結構な大金だったと思う。家に帰って母にそのまま正直に言うと、母はただ呆れて口も利けなかった。