前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十七話 追われる如く去る故郷台湾(
 
犠牲者2万余・台湾人知識人有力者を見境なく虐殺
 国民党政府の弾圧は、徹底した報復ぶりに見境はなかった。そして、その主たる矛先は、日本の高等教育を受けた台湾人エリートに向けられた。
 東大・京大・中大等を卒業、各方面で指導的な役割を担っていた優秀な台湾人知識人の多くが逮捕され虐殺された。そのほとんどが遺体さえ不明のまま。
 地方名望家・有力者に対しては、身代金目的で逮捕し拷問にかけ、応じなければ、南海の孤島・死の「火焼島」送りにする。金次第では釈放すると言う、前近代的な仕打ちが公然と行われた。
 一般人民の犠牲者は、2万人とも3万人とも言われ、正確な死傷者の数は未だに不明と言う。この後、徹底した戒厳令施行下で、この事変については、一切口にする事さえ許されなかった。
 


 更に、この2年後1949年には、国共内戦に敗れた蒋介石一味が約100万の敗残軍と共に台湾に上陸、この重圧下で台湾人民は、40年に及ぶ逼塞の年月を余儀なくされた。
 戒厳令解除は1987年、はじめての台湾人総統・李登輝氏が総統に就任したのはその翌年の事であった。ちなみに李登輝氏は、台北高校・京都帝大の出身。