前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十七話 追われる如く去る故郷台湾(
 
初めての台湾訪問は戒厳令下母校の壁に「共匪掃滅」「大陸反抗」のビラ

 話は一寸飛ぶ1982年の事。引揚げ後35年を経て、私は戦後始めての台湾訪問を果たした。55歳になっていた。
 税理士事務所開設10周年を記念する行事として、関与先の会社の皆さんに、わが故郷台湾を見て貰いたいと言う事で台湾一周の旅行を企画した。
 参加者30数名。案内は、父の教員時代の同僚で、台湾ガイド協会の会長になっていた李先生が受け持って下さって学術的とも言うべき最高の解説で、1週間にわたる全島1週は最高の旅だった。
 



  この前年、私は、皆さんをお連れするには、台湾の情勢についていささかの不安もあったので、私は顧問先の社長と2人で下見に訪れた。実は私は、戦後間もなくからのコミュニストである事が、台湾の同窓の間でも知られていたので、戒厳令下で旧友に迷惑を掛けてはいけないと思い、私の最初の台湾訪問は、極く限られた人にしか知らせなかった。
 台北では単身でタクシーを頼み、かっての母校である、旭小学校、台北一中、台北高校それに東門町の住居跡を訪ねた。