前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第三話 第二の故郷 農林省農事試験場鴻巣試験地へ()
 
 鴻巣は、高崎線で大宮から三つ目、中仙道の宿場町のひとつ。埼玉県のほぼ中央に位置し、視界を遮るものは何もない関東平野の真っ只中、駅から徒歩15分ほどの銀杏並木の向こうに試験地はあった。

 宿舎は、大学出の幹部候補生用と高専卒以下の助手とでは、確然たる区別があり、町に近い、豪農の館か大料亭かと見紛う堂々たる和風の2階建てが、兄たち大學出の宿舎。私に当てられたのは、広い農場のはずれに、戦時中建てられたバラックの蒲鉾兵舎だった。真ん中に土間が走り、両側に4畳半の部屋が十部屋ほど区切られてあったが、外壁は板一枚、ヒューヒューと風が入ってきた。 兄は心配して、最初の3月ほど私と同じ部屋に一緒に住んでくれた。
 
初めての職場・稲刈り機研究室で
 職場は、兄と同じ農機具部(部長は東大出のK氏)で、兄は第一研究室、私は第三研究室(主任は京大出のM氏)だった。暫くして九州帝大工学部卒の新鋭の研究員が配置され、わが国ではじめての稲刈り機の開発に取り組む事になった。

 今まで全く触れた事のない「農学」だとか「農機具」だとかの教科書を兄に借りて読んでは見たが、すぐに馴染めるわけもなかった。私に与えられた仕事は、稲刈り機に関する英語・ドイツ語の文献の翻訳。ほかには私にやれるような事は殆どなかったので、それは有難く思い懸命に取り組んだが、それにしても、農業や機械の専門用語が全く分らないのだから、恐らく私の訳文はそのままでは通用しなかっただろう。