前代表社員長崎真人自分史
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第二部】第三話 第二の故郷 農林省農事試験場鴻巣試験地へ()
 
 何にしても、余りにも急な、そして激しい境遇の変化であった。何がどうしてこうなったのか、私は、考えうる限りの論理を手繰って考えつくしたが、堂々巡りでしかなかった。幾度か思いつめて死にたいと思った。冷たい宿舎の壁に向かって幾時間も身じろぎもせず考えつくしていた私を、同僚たちは気味悪がった。

 「人間の運命」「肉親の愛」「生と死」「人生」とは何であろうか? 戦争・国家・社会・家族等々、問題は多岐にわたり根本的で極めて深刻であった。
 
心も凍る赤城おろしの空っ風に眠れぬ幾夜を過ごして
 鴻巣試験地は、北区西ヶ原にあった農林省農事試験場の実験用圃場として、1923年(大正12年)に設置され、1981年(昭和56年)筑波研究学園都市に、農業研究センターとして移転するまで、この地で、米麦はじめ幾多の農作物の品種改良、諸々の農業機械の研究開発、その他農業技術全般の研究と普及に多大な実績を残した。
 鴻巣試験地の農機具部は、その後、幾度もの機構改革を経て、現在は「独立行政法人農業・生物系特定産業技術研究機構」内の「農業機械化研究所」となり、わが国唯一の農業機械の開発改良研究機関としての役割を継続している。