前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第ニ話 若さ一杯の青共本部()
 
第2話
 「日本青年共産同盟」(略称「青共」)は、戦前1923年に創立され、言語に絶する困難な条件下で、侵略戦争反対の旗を掲げて戦った「日本共産青年同盟」の伝統を受け継いで、終戦の翌年1946年2月に早くも設立・第一回全国大会を開いていた。
 私が青共に加盟したのは、鴻巣試験地で1947年の暮れ近く、日本共産党に入党した直後の事だった。1年後、その青共本部に私が常駐する事になろうとは、思いも掛けない事だった。
 
 青共本部は、新宿区大久保二丁目、JR山手線新大久保駅から東へ10分ほど歩いた左手の住宅地の中にあった。敷地は100坪ほどあったかと思う、建坪30坪ほどの木造総2階だった。一階が食堂と調理場、倉庫、二階が事務室。離れに中央合唱団のレッスン場があった。
 私は、本部から更に東へ10分ほど歩いた若松町にあった宿舎から通い、毎食本部で給食を受けた。朝食後、合唱団の前の空き地で体操をし、合唱団員の指導で、みんなで思い切り大きな口をあけて歌った。
 一番若いのは15−6歳の少女、ほとんどが20歳前後、年長でも25−6歳。
まさに若さ溢れ希望に燃えた仲間たちだった。