前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第ニ話 若さ一杯の青共本部()
 
過去の科学技術の全面的な否定
 戦前の科学・技術に対する鋭い批判が前面に出ているのは、その時期としては当然の事であったろう。しかし、戦前の日本を支配した専制的支配勢力の制度・政策に対する批判と結びつけて、過去の科学・技術の全面的否定に陥っては、新しい科学・技術の創造が何を基盤に、どこから生み出されるのか?自然科学の客観的な真理の探究と言う根本的な思想と、社会科学における階級性の問題とをどう統一して認識し、実践の指針とするか?論究が浅かったのではないかと思う。
 合わせて、「革命が近い」との情勢判断から、進歩的科学者・技術者に対して、その独自な分野での活動よりも、労働者・農民の戦いに直接的に参加する事を求める、短絡的な指導があった。
 
第八回大会決定の日本共産党綱領
 党が50年問題を克服し統一を回復した後、全党の討議で決定した第八回党大会(1961年7月27日)の日本共産党綱領は、次のように述べている。
 『党は、日本文化の意義ある民族的伝統をうけつぎひろめ、教育、科学、技術、芸術などの民主主義的発展と向上のために、また思想と表現の自由のためにたたかう』
 「文化の継承」と言う観点が示された意義は大きい。これは、「多数者革命」「民主主義革命」の新しい路線に沿ったものだが、継承すべきものを「民族的伝統」に限定する必要はなかった。