前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十話 血のメーデー そして神奈川へ(8)
 
徹夜で「若き戦士」号外を発行
 私は、負傷した仲間を芝診療所に連れて行った後、情報を集め「若き戦士」の号外発行に取り掛かった。東大駒場寮の一室に数名の学生の同志が集まり献身的に手助けしてくれた。
 収集できた情報は、学生・全日自労関係が主だったが、いずれも混乱の中での事。後で知れば、被害が過大に伝播されていたようだった。私は昂ぶった感情のままに、実体験と得られた限りの情報を原稿用紙に刻み込んだ。それを東大の同志がガリをきり、ガリ版印刷の手刷りで翌朝、空が白むまで掛かって仕上げた。ザラ紙も自治会やサークル等で借り集め、3千枚ほどだったと思う。都内民青各地区のポストに届ける手配を終えて、私は死んだようになって寝た。
 
唐突な人事で神奈川県に派遣される
 その2・3ヵ月後のこと。私は神奈川県にオルグとして派遣するとの指令を受け取った。中央書記局の常駐メンバーは、私を含めて3人しかいなかった。「若き戦士」の発行は、私の個人的な努力に負うていたのが実態だった。その私に、突然神奈川へ行けと言うのは、何ゆえかと書記長に問い質した。
 神奈川の組織が、長期にわたり連絡が悪く、中央の指示が届かない。神奈川は京浜工場地帯を抱え大事な拠点になるべきところ。誰かが建直しに行かねばならぬのだと言う。更に言う、これは党中央の意向で、すでに神奈川の党とも打合わせが済んでいる事だと。