前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第九話 上級生が敬礼して通る、まるごと古着の新入生(
   盧溝橋事件(シナ事変)から3年、太平洋戦争が始まる前年に当たる時期でしたから、当時の中学校は軍国主義教育たけなわで、通学路で上級生に会うと大きな声で「お早うございます」と言って軍隊式の敬礼をしました。先生に会えば停止敬礼です。一年生にとっては周りは上級生ばかりですから、始終敬礼していなくてはならない事になります。
ところが、私は、上から下まで古着で固めていましたから、どう見ても一年生には見えません。2年生3年生に挨拶される事もしばしばでした。はじめは、ドギマギしましたが、そのうちに何食わぬ顔で答礼するようになりました。
 私は、二学期には副級長に任ぜられましたから、それなりの成績だったのでしょう。生来の呑気坊で、服装の事で卑屈になる事はありませんでした。
 
「この野郎!自由主義者・個人主義者め」
 当時の中等学校は5年制です。最上級は今の新制高校卒業に近い年代ですが、1年生は今と同じ12歳、まだ子供です。その1年生から軍事教練が始まりました。足には巻き脚絆をキッチリ巻き、ズシリと重い三八式歩兵銃を持たされました。

軍事教練と言っても、何しろ1年生ですから、気をつけ!休め!かしら中!右向け右!など、基本動作だけを繰り返しやらされました。単純な動作で退屈、それに笑いたい年頃です。誰かが間違ったりすると、誰かがクスッと笑う。たちまち全体にその空気が波及します。