前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第九話 上級生が敬礼して通る、まるごと古着の新入生(
 
 だから、一中では極めて珍しい事でしたが、同学年に一人だけ、台湾人がいました。恐らくは、格別裕福な資産家の子、あるいは日本が台湾を占領する当初、親が何か特別な功績をあげたかで、台湾人としては、別格の待遇だったと思います。身なりも良く顔立ちも賢そうな子でした。

 大陸では、日本軍が侵略を欲しいままにしていた時代です。「日本勝ったシナ負けた。負けて逃げるはシナのチャンチャン坊主」などと子供の遊びの中でも口にされていました。何の頓着もない日本人の同級生の悪童が、その台湾人の子に対し「シナの街の××は、小さいときに攫われて、今では立派な大泥棒」と節をつけて囃し立て、「お前なんか大和魂あるか」と毒づきます。その子は真っ赤に高潮した顔で「僕だって日本人、大和魂あるさ」と言い返します。
 
 こんな事が教育の場で、何気なく行われていました。これが恥ずべき植民地の実態と言わなければなりません。台湾人から台湾人としての自覚・プライドを奪い取る教育、社会的風潮が、軍国主義と共に強められていました。


「僕だって日本人」「大和魂あるさ」