前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第二部】第二話 引揚後の郷里での苦闘の日々(10)
 
第2話飢えとの戦いに明け暮れた引揚後の郷里での苦闘の日々

 郷里村松での、引揚後の数ヶ月の生活を何と表現したらよいだろうか?
 祖父母二人だけだったところに、浩叔父さん一家が5人、夫に戦死された文子叔母さんが子供と2人、わが家が6人、計15人が一つ屋根の下にひしめき合うことになった。引揚者としては、雨露を凌ぐ家があば良い方だったのかも知れぬ時世だったが、とても落着ける状況ではなかった。
 



 食糧は、ほとんど生存の限界ギリギリであった。来る日も来る日も、ヒバ(干した菜っ葉)を刻み込んだ雑炊が一膳だけ。食べ盛りの子供たちの空腹を癒す物は何もなかった。飢えほど人間を惨めにするものはない。 時に母が夜、隠れてそっと渡してくれる、お焦げの握り飯に、悲しいほどの母の愛を感じつつも、同じ屋根の下にありながら、皆の目を憚り慌てて食べねばならぬ、その惨めさに全身で耐えねばならなかった。
 家中の誰もが、夫々に惨めな思いに耐えていた。中でも、昔気質の舅姑二人を上にして、13人もの家族の口を賄わなければならなかった母の辛苦は、想像に絶するものがあったであろう。