前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第二部】第二話 引揚後の郷里での苦闘の日々(10)
 
突き放すような母の一言「男の癖に何よ!」
 その翌日、私は、母の行商の後について田舎道を歩きながら、声を上げて泣いた。母は、私に背を向けたまま「男の癖に何よ。母さんの方がどれ程泣きたいか知れないのに」と冷たく言い放った。その声は、初めて聞く厳しさだった。
 私は唇を噛んだ。噛んだ唇から、涙と鼻水と唾液とが溢れ出てクシャクシャだった。
 台北一中、花蓮港中学と最優秀の成績で出て、台北高校から恐らくは東大医学部か理学部かに進み、細胞生理学の研究者になる事が私の夢だった。
 もろくも、本当にもろくも、大きかった夢も、絶大な自負も、音を立てて崩れて行った。誰一人顧みる者もなく・・・・・・。
 
 「ニシン買うてくんなさんねえかね」そう言って農家へ入っていく母の後に、私は脱殻のようになって、ついて行った。

 新潟高校の冷たい仕打ちはさりながら、この時の母の突き放すような厳しさは、私の人生に一つの転機をもたらすものとなった。この後、私は幾度も、この時の母の言葉を反芻した。この言葉は、私が、冷厳な社会の現実を正面から見据え、それに立ち向かうに至る契機となった。
 それまでの私は、どんなに辛い事があっても、父母の愛は絶対であったし、そのヌクヌクとした陰で、精神的には何の迷いもなく過ごして来れた。幼かったのだと言えよう。この日を境にして、私の少年時代はハッキリと去った。