前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第二部】第六話 「君は共産党員ではないか」にビックリ()
 
新しい人生の出発 細胞会議は田んぼの中
 1947年8月15日、私は認められて農林省細胞の一員になりました。
 当時、共産党の末端の基礎組織を、生物の組織に倣って「細胞」と呼んでいました。私の入党によって鴻巣試験地に党員が3名になり、独立して「鴻巣試験地細胞」を結成する事になりました。

 当時、官公庁での党組織は、慎重を期して非公然でしたから、3名が連絡を取り合うのも人目を憚って、夜そっと寮を抜け出し、誰も来ない田んぼの畦道にしゃがみこんでヒソヒソ声で話し合うと言うような事でした。季節は幸い寒くはなかったのですが、蚊には悩まされました。
 

 頭を上げると、新しく田んぼのあちこちに立てられた誘蛾灯の青白い光が美しかった。広い試験田の向うから渡ってくる風に乗って、祭囃子の笛や太鼓の音が流れてきました。

 西条八十作詞、古賀政男作曲の懐メロの一節です。当時大流行で、と言うよりもこれしかないと言った方が良い位に、繰り返し繰り返しあっちの部落からもこっちの村からも聞こえてきました。