前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第八話 浦島太郎の心境()
 
 私の「山村工作隊」の体験は、こんな程度の事だったが、その後の事、奥多摩の山村に根拠地作りを命ぜられた同志が、村の衆に受容れられず、餓死すると言う悲劇の「美談」もあった。
 
 後になって知るのだが、当時の党中央を占めていたのは、いわゆる「多数派分派」の連中で、中ソ共産党の干渉に盲従して「左翼冒険主義」の偏向を冒していたのだが、末端で活動していた我々は知る由もなく、ひたすらな犠牲的精神で献身する以外になかった。