前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第九話 弾圧に抗し青年新聞を守る(810)
 
第9話
 1950年6月6日、GHQ(マッカーサー日本占領軍総司令部)は、日本共産党の中央委員24名全員の公職追放を指令。同月25日朝鮮戦争開始。翌日アカハタを発行停止、続いて党の国会議員を追放。
 朝鮮戦線への出撃基地としての体制を固めるべく、共産党の非合法化に留まらず、民主的な諸団体に対しても次々に全面的な弾圧を加えてきた。

 この直前4月には、反戦平和と民族の独立を掲げて「青年祖国戦線」が結成され、参加団体704団体・組織人員400万人を数える、青年・学生運動の大結集が図られ、その機関紙として「民主青年新聞」が発行されていた。
 
 この「民主青年新聞」も9月には、GHQによる発禁処分を受けた。

「民主青年新聞」発禁の後を継いで

 私が「民主青年新聞」の東京支局長に任ぜられたのは、築地警察署を出て以後の間もない頃だと思うのですが、そうすると上記の発禁の時期と話が合わない事になり、記録と記憶の間の食い違いを、いずれ正さなければならない事になりますが、今はお許し下さい。

 私は、民青東部地区オルグとして派遣されて1年足らずで、東部を離れる事になったわけで、親しくなったばかりの同志たちと離れるのは本当に辛かった。