前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十一話 京浜工業地帯の真っ只中へ()
 
 職業革命家の心構えとしての「24時間党活動」「すべてを革命のために」と言うのとは、いささか異なる観念が支配しているようで、私には良く理解できなかった。
 上級機関の指令で「常任になれ」と言われてなったが、まず生活の基盤を確保した上でと言うような心構えなのだろうか?現実的といえば現実的、実際的といえば実際的で、これが労働者的と言う事なのだろうか?
 私のように何の生活の保障も考えず身一つで飛び込んでいくと言うのは、観念的・精神主義的と言う事かも知れなかった。

 当時の党には、「労働者的」と言う言葉が、あらゆる場面に出てきて、私のような半ばインテリ的な人間は、肩身の狭い思いを忍ばねばならなかった。
 
その極地が「理論拘泥主義」と言う徳田書記長が良く口にした言葉だった。理論よりも「労働者的な感覚」が重視された。その上に、権威主義と言って良い絶対的な中央集権制が支配していた。指導部には、えてして、張ったりが効いて、理論よりも権威を笠に着るような人物が重用され、下部では盲従主義が蔓延った。

 「労働者的」と言う言葉には、労働者階級が負うべき客観的な歴史的使命を表現する前向きの一面と、屈従を余儀なくされてきた環境から生れる遅れた思想、生活感覚に支配されている、否定的な現実との相克、その両面を正しく認識せねばならないだろう。
 圧倒的な労働者階級が構成する地域を擁する神奈川に派遣されて来て、その最初から私はいろいろな事を考えさせられた。