前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十一話 京浜工業地帯の真っ只中へ()
 
そのほかの常任の同志たちも、言わば半常任と言うような状態ではないか。この現状をどう改革するかが問題だと言う事は報告したが、処分は私の意見でもないし事前の相談も受けていない。異論があるのなら中央委員会宛に言うべきではないか」と。

民青の基本的性格についての不一致
 そもそもで言えば、民青が何をする組織なのか、基本的な性格について、党内でも理解が一致していなかった。「歌って踊って民青」と言い、合唱団等のサークル活動と同一視する見方があり、片面では青年行動隊的に党の手足にしようとする傾向があったりした。いずれも青年の持つ革命性を汲み取るには至らない。
 
 これらの基本的な問題の解決なしには、青年組織での活動に情熱を傾けるに至らなかっただろう。実際7人の常任の同志たちも、具体的に何をどうすればよいのか解っていなかったのだと思う。指導機関である党機関にも全く一貫性がなかった。その上、非民主的な人事・組織の運営が大きな障碍だった。

 やがて、当の県委員長は顔を見せなくなった。7名いた常任も、失業保険が切れる頃合に、ひとり減りふたり減り、次第に姿を消していった。
こんな事で、私の神奈川での活動は、初っ端から堅い壁に突き当たり、頓挫しかねない危機に直面した。