前代表社員長崎真人自分史
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第一部】第十八話 野の花は枯れず(10
 
中華人民共和国建設に台湾人民を代表して参加
  中華人民共和国建国(1949年)に当たっては、台湾人民の代表として、政治協商会議の主席団に毛沢東等と共に列席。この前後、彼女が歴任した要職は、台湾代表と言うに留まらず、全国民主婦女連合会、全国民主青年連合会、中ソ友好協会、世界和平大会全国委員会、中央政治法律委員会、中共華東局軍政委員会、紅十字会総会等、いくつもの役職を兼ね、多方面に亘り全国的な重要な役割を担った。彼女は台湾人民の花、最高の尊敬と親愛の対象であった。
 しかし、春爛漫、咲き誇る花の季節は長くはなかった。
 
「民族主義者」の刻印を押され文化大革命の犠牲に
  その後、彼女が迎えなければならなかった晩年の悲哀は、余りにも過酷であった。中国全土で展開された「整風運動」で、「民族主義者」の刻印を押され、その地位を追われた。「文化大革命」では、紅衛兵の無法な暴力的な引き回しに遭い、殴打され足蹴にされて重傷を負い、(1970年)失意の中で69歳の生涯を閉じた。

 台湾人民の解放をひたすら切望する彼女の意思は、最後の瞬間まで変わる事はなかった。愚直なまでに、その意思を変えず、決して時流に媚びる事はなかった。台湾人民の最愛の娘・最高の指導者・謝雪紅は、台湾を愛し台湾人民を愛したが故に「民族主義者」として断罪され、台湾と台湾人民のために命を捧げた。それは台湾人民自身の悲劇であった。