前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第一部】第十八話 野の花は枯れず(10
 
  しかし、一時期、この友好関係に重大な汚点を残す事件が両国共産党の間に起きた。これは、スターリンの独裁・共産主義からの逸脱と結びついていた。いわゆる「コミンフォルム批判」である。中ソ両国共産党は共同して、日本共産党に武力革命の路線をとるように強要し、日本の革命運動に甚大な被害を与えた。「文化大革命」で謝雪紅女史が紅衛兵に引廻され暴行された、その同じ時期に日本共産党の代表も紅衛兵に暴行され、北京空港から国外に追放された。
 
  その反面、中ソ両国共産党の重大な干渉との戦いの中で、日本共産党は理論的にも組織的にも鍛えられ、長期の展望を持った「多数者革命・平和革命」の路線を、世界の共産主義運動に先駆けて打ち立てる事が出来た。
 日本共産党は、如何なる大国の党とも、対等平等、相互不干渉の原則で協調する事を基本にして、干渉を許さない原則を守って交流の回復に努めた。
 中国共産党は、その後、極めて率直にこの時期の誤りを認め、日本共産党との友好提携を以前に増して誠実に熱意を持って実践するに至っている。