前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第四話 史上空前・国電ストの第一線に()
 
 その翌日から何日間か、中野駅の裏口、今は立派なビルが建っているが、当時は焼け跡のマーケットがあり一寸した広場があった所で、地区委員会の同志、アカハタ分局の同志と一緒に街頭演説をやった。
 私は、区役所での失対の皆さんの要求について聴衆に訴えた。駅から降りてきた人、道行く人が、足をとめ、円陣になって聞いてくれた。共感の拍手も惜しまなかった。

「階級的には皆兄弟」が私の信条
 民青のオルグとして、はじめて第一線の戦いに参加したばかりの私にとって、ここで述べたような行動は、あるいは無謀とも若さの至りとも言える大胆過ぎる行動であったかも知れない。それが当時の私には何の力みもない自然な行動だった。
 
 それは、ひとつには、当時の社会情勢が、若い革新的な言動を喜んで受容れる風潮を持っていた事によるだろう。もう一つは、確かに私が若くて、純粋に党が示す道筋を無条件に信じていた事による。
特に、国民は皆「階級的には兄弟」と言う言葉が好きで、誰だって一所懸命に訴えれば必ず判ってくれると信じていた。

 この言葉は、1961年第八回党大会で決定された「日本共産党綱領」には次のように表現されている。
 「党はすべての民主党派や無党派の勤労者を階級的には兄弟と考えており、これらの人々にむかって心から団結を呼びかけ、そのために力をつくす・・・」と。