前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第七話 築地警察署勾留23日()
 
石川島の現場の状態を陳述
 すぐ私の順になった。私は、人定尋問に対しては「答えたくありません」と言った。裁判官が「何か言いたい事があれば言いなさい」と言う。私は何の準備もなかったが、咄嗟に、日頃石川島の同志達に聞かされていた、石川島の労働者が置かれている職場の状況を話した。合理化が強行され「災害ゼロ運動」で、実際には過密労働で負傷者が続出しているのに、「私傷」扱いで何の補償も受けられないで居る。今回パージになった労働者たちは、すべて模範的な労働者で、職場の労働条件改善のために奮闘していた人たちだ、と言うような事を言った。
留置所の飯は量が足りず不味い
 続いて、逮捕のときの状況、雨の中でぐしょ濡れになったのに、ろくに乾かないまま着替えもさせず留置した事。毎日の食事は量が少なく、質的にも不味くて喰えない。人権無視だと言うような事を言った。
 
 実は後段の食事に対する主張は、あまり真実味がなかった。私のオルグとしての毎日は、1日一度コッペパンひとつ口にするだけ、睡眠時間も足りなかった。
 それが、此処では規則正しく3食提供され、睡眠時間も充分過ぎるくらいだった。戦前の同志たちの裁判闘争、刑務所での闘争の話を何かで読み知っていたのが、咄嗟の発言になったと言うのが真相だった。

 弁護士は、自由法曹団の錚々たるメンバーだった。私の発言が終わるや否や、立ち上がったのは、後に松川事件の主任弁護士を勤められた岡林辰夫氏。私は何かで写真だけは拝見していてお顔はすぐ判った。
 正に「火を吐く熱弁」とは、この事だろう。「今、築地28号が述べた警察の取扱は許しがたい人権侵害だ」と、眼をむき机を叩かんばかりの迫力で弁じられた。続いて小沢茂弁護士ともう1人若手の方が「即時釈放を求める」論陣を張って下さった。