前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第九話 弾圧に抗し青年新聞を守る(810)
 
 私の活動拠点は、当時、文京区春日町にあった民青東京都委員会本部に移った。
 それも僅かな期間だった。間もなく銀座の新世界ビルに移った。

 「民主青年新聞」が発禁処分を受けた後、これに屈せず「新青年新聞」を発行、それも発禁となった後「日本青年新聞」を発行と言う事になったのですが、そのいずれかの時期に(前述のように50余年を経て記憶に不確かな点がある事をお断りしなければなりませんが)、私は、それらの編集・発行の責を負う立場に立たされた。
 
新聞編集・印刷・発行を一から勉強して
 この時期には、前任の同志が突然いなくなる、後で知るところによれば、世界民主青年連盟の本部に派遣される等の海外活動、あるいは党組織の別な任務に就く等、私などの関知し得ない人事が頻繁にあった。
 私のような、経験浅い人間が、あれよあれよと言う間に、全国的な青年運動の中枢の一番大事な任務に着く事になったのは、この時期の情勢の変動の激しさの一端を示す出来事だったと言うべきでしょう。