前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第九話 弾圧に抗し青年新聞を守る(810)
 

 当時の私には応接のしようもなかったのだが、泊める場所は幸い母方の従姉妹が渋谷に居たので間に合った。私は難しいことは一切話さず、初めての東京を案内して気を紛らす事に努めた。宮城前広場、浅草観音、それに銀座、最後に日劇に案内した。私も始めて観たのだが、ダンシングチームの華やかな舞台に「おったまげた、若い女子が裸で足上げて・・・」と眼を丸くしていた。

 問題の解決には程遠い対応だったろうと思うのだが、ともあれ、私が元気だと言うだけで安心してくれたかと思う。
 
「若き戦士」の創刊秘話
 50年以上も前の事になるので、ある程度の秘話も明かしてよいだろう。恐らく私が老境から死に至れば、史実としても辿ることはできなくなるだろうから、戦後一時期、最も波乱に満ちた時代の青年運動の歴史に残る、日本民主青年団の中央機関紙として、1952年1月に創刊し、1956年現在の日本民主青年同盟に組織変更される直前まで続いた「若き戦士」創刊に携わった本人の実録として留めて置きたい。