前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第九話 弾圧に抗し青年新聞を守る(810)
 
印刷所を転々として発行を続ける
 しかし、間もなく、これらの大きな印刷所は使えなくなった。占領当局の指令で、厳しくなった警察の捜査に引っ掛かれば、名前を変えた後継紙も、次々に発禁・没収される。場合により占領政策違反で逮捕されかねない。それでも、反戦・平和・民族独立の旗を降ろすわけには行かない。その戦いの組織者は、この新聞以外にない、という訳で、私は、都内の小さい印刷所を幾つも転々とし、私自身の宿も地区や班の同志に助けられて移動しながら仕事をした。

 特筆しておきたいのは、門前仲町の金物屋の息子だった若い同志のこと。プライバシイに関わる記述は避けたいと思いますが、立派な老舗の息子なのに継子扱いで、店の脇の小部屋に忍び込むようにして入り、お屋敷から残り物をそっと持ってきて私に食べさせてくれた。一組のせんべい布団に男同士寄り添って寝た、その体温の暖かさは忘れ難い。
 
「民主青年新聞」発禁の後を継いで
 当時の警察の取り締まり体制は、パトロール中心だった。常時、2・3人の巡査が組んで管内を巡回し、通行人に対しての不審尋問、あるいは戸別の聞き込みで摘発に努めた。

 ある日、私は運悪く巡回のおまわりに不審尋問された。何しろよれよれのホームスパンの背広にハンチング、痩せて青白い人相。大きな風呂敷包み。怪しまれても当然のスタイルだった。

 幸い相手は一人、それも田舎から出てきたばかりと言う感じの若いおまわりだった。「風呂敷の中身はなんだ、開けて見せろ」という。私は「これは絶対みせられない」と言う。私は小説家で、これは書きかけの原稿とその資料だ。小説家は名誉に掛けて、発表前の原稿を誰にも見せる事はできないのだと言い通す。