前代表社員長崎真人自分史
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第四部】第ニ話 「不惑」にして岐路に立つ(1011)
 
  早速、職安に出頭し失業保険受給の手続きをした。3条件があった。ひとつ求職の意思があり、ふたつ職に就く能力があり、みっつ求職活動をしている事である。窓口で斡旋される求人を断る事は出来ない。
 最初に紹介されたのは、ミシン販売会社の経理担当だった。何とか不採用になればと思って行くと、明日から来てくれと言う。実は、何か資格を取りたくて勉強中なので、ある程度自由が利かないと困るのだと言うと、それならセールスをやんなさい、あなたはセールス向きのタイプだと言う。ひたすら頭を下げてようやく断り、職安に報告すると、散々に文句を言われたが、履歴書に青年共産同盟だとか民主商工会だとか書いてあるのを見て黙ってしまった。
 
 幸い、その次からは何も言わずに保険金を支給してくれた。

生き様を変え個人を活かす道へ
 当時はすでに「多数者革命」の新しい路線が確定していて、私も新しい綱領路線に満腔の賛意を捧げていたのだが、人間の生き様と言うのは、そう簡単に変わるものではなかった。前に書いたかと思うのだが、以前の党には「理論拘泥主義」と言い、知識分子を第一線で再教育すべき存在として扱う方針が顕著だったし、生活信条としては「個人を活かす」よりも「組織に捧げる」ことにロマンを感じていたのが、それまでの自分だった。