前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十五話 悪戦苦闘!職業転々の数年 わが人生最高の体験記
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 そのコンクリートの硬さったらない。鶴嘴を思い切り振り下ろすと、腕から肩にかけて電流が走りジンと痺れる。10分もしないで汗だくフラフラだ。
 一息入れて隣を見ると、同年輩かと見える青年が、慣れた調子で軽々と鶴嘴を振るい、早くも私より一段下を掘っていた。声を掛けたら「青森から出稼ぎに来た」と言う。脇目も振らず息も切らせず動いて、昼前には割当を終え、涼しげな顔でサッさと帰って行った。生まれ付いての労働で鍛えられたのであろう。小柄ながら引き締まった体格の青年だった。
 午後3時過ぎには、廻りはみんな順に作業を終え、私独りになった。どうしてこんなに要領が違うのかと思うのだが、如何ともし難い。
 4時過ぎに監督が来て「もういい帰れ」と言う。悔しいが救われた気もした。
 
「こんちわ!今日は何かご注文は」川崎生協で御用聞きに
 横浜駅で偶々出会った党横浜市委員長が「良かったら紹介しよう」と言って、川崎の生協本部に話をしてくれた。川崎生協は伝統もあり規模も大きく近隣に知られた生協だ。面接してくれた事務局長は、余り気乗りしない感じで「現場でよかったらやって見て下さい」と言い、翌日から私は南加瀬にあった支所の売店に配置された。

  行ってみると、50坪ほどのガランどうとした木造の平屋に、乾物と青物と鮮魚を並べ、夫々に担当がいて、特に人が欲しいと言う状態でもなかった。
 私は、御用聞きに歩く事になった。自転車で近隣の組合員の家庭を訪ね「こんちわ!奥さんご注文何か?」と言って廻る。