前代表社員長崎真人自分史
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第三部】第十五話 悪戦苦闘!職業転々の数年 わが人生最高の体験記
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第三部 “激流に棹さして”を終わるに当って

 第三部の最後の時期、ほぼ5年間に私が体験した職業・職種を記憶にある限りおさらいしてみます。
 はじめは、職安の日雇いですから、毎日やる仕事が色々です。軽い方で公園や埠頭や米軍基地の清掃。重労働だったのは、港湾の荷揚げや道路工事。
 日本鋼管の転炉工場の新設現場に製缶工として入った話は書きました。川崎生協の売店で御用聞きをした事。印刷工として神奈川新聞のほか2箇所で働いた事。中国書店のマネージャー、家電小売店の経理主任をした話も書きました。
 
 書き漏らすわけに行かないのは、親しかった仲間の誘いで、日本海底電線と言う文字通り海底を這って大陸間を繋ぐ電線を、一貫作業で製造する特殊な工場に工員として入った事。紡績で糸をつむぐように、ビニールで覆われた細い電線を幾重にも束ね麻布で覆い、最後は小指ほどの太さの鉄線でガッチリとカバーする、珍しい仕事でした。
 家庭教師で中学生の英語と数学を教えた事もありました。

 いずれも、自分が望んでした仕事ではなかった。なんとか民青の仕事との両立を図りたいと思い、また仲間たちが持ってきてくれる仕事に、選択の余裕なく従事した結果、10指に余る職業を転々とする事になった次第です。