前代表社員長崎真人自分史
目次へ 前のページへ 次のページへ
第三部】第十五話 悪戦苦闘!職業転々の数年 わが人生最高の体験記
1011121314151617)
 
 当時、岩手大学の教授に納まっていた兄が「君の学歴で教員免許が取れるのではないか」と知らせてくれた。
 台湾の台北高校(旧制)を一応卒業したことにはなっているが、母校は終戦後間もなく中華民国政府に接収されていて、記録も何も無い。外務省の引揚援護局に行って、卒業証明書を入手し得たのが第一歩。
 次に東京都の教育委員会で聞くと成績証明が必要だと言う。引揚者にそんな物はないと言うと、当時の先生に何か書いて貰えれば検討すると言う。
 台北高校の七星寮の寮監をしておられ、学務主任でもあったT教授が、都立大の教授になっておられたのを世田谷のお宅に訪ねた。
 
教授は、寮の委員をしていた私を良く記憶されていて、最高の言葉で推薦の辞を書いて下さった。
 封印してあった証明書をそっと開けて見ると「成績も優秀、人物も友情に厚く同窓に信望があった」と言うような事が丁寧に書かれていた。
 お蔭で、思いもかけず、中学・高校教諭2級、英語、数学の免許を手にする事ができた。

  T教授は追っかけて、台北高校の教務で御一緒だった方が、文部省に勤めておられたのを紹介して下さった。その指示で都立高校をいくつか廻ったが、さすが公立の壁は厚く、採用に至らなかった。

 鴻巣時代に一緒だった、かの中年の同志が教育大の教授になっていたのを兄の手はずで訪ねた。